◾️卒園、そして入学。
去年、保育園に行けなくなつた息子の母を経験して、「教育」という分野にめちゃくちゃ興味を持った。
その中で没頭したのが木村泰子先生だった。
「みんなの学校」という映画で先生の存在を知っていたわたしは、木村先生の本を読み漁り、木村先生が出ている動画は片っ端から見た。
木村先生の話に登場する、障害がある子供、言葉を持たない子供、すぐに人に暴力をふるう子供、学校に行けない子供、さまざまな子供たち。
小学校という現場で子供と関わり続けてきた先生が話す学校の役割は「子供が安心して過ごせる場所であること」だった。
相手を思いやる力、自分で考える力、自分の考えを伝える力、チャレンジする力、そんな見えない力こそこれからの多様化された社会を生き抜く力になるのだから、まずその大前提として「学校が安心して自分らしく過ごせる場所」であることが大事だと伝えてくれている。
「安心」という言葉をどこまでも因数分解して、学校と地域で実践してきた校長が木村先生だ。
動画の中で「学校という現場に“教えよう”“教育”という言葉がのさばっている以上、子供たちは死ぬ」と断言している。
現場の先生たちはいまだに「教える」ことが役目だと思っている、と。先生の指示に従えて、みんなと同じ行動ができる子供をみて安心しているけど、それ本当?と何度も投げかけてくる。
学校も先生も、わたしたち親も大きく変わらなくてはいけないのだと思う。
木村先生が作った小学校の入学式では、毎年保護者にこんな挨拶がされる。
「あなた方は今日から保護者ではなくなります。その代わりすべての子供たちのサポーターになります。
サポーターのルールは自分の子供は見ない、話さない、さわらない。
学校はすべての教室を開いています。だから気にせずどんどん教室に入って、困っている子のそばにそっといてあげてください。
カフェに行くなら、どうぞ学校でママ友とお茶をして、さまざまな子供たちと触れ合ってください。
サポーターの仕事は、自分の周りのの子供を育てることです」
こんな挨拶をされた学校では、毎日たくさんの保護者や地域の人々が訪れて教室にまじっている。先生と保護者、地域の人たちみんなで子供を見ている。
そんな学校で過ごす子供たちはケンカしたり、泣いたり、教室から飛び出したり、毎日至るところで事件が起きているけど、
生命力に溢れているというか、命が輝いているというか、生きるってこういうことだよねって思わせてくれた。
周りが自分を受け入れているという安心があるからチャレンジして失敗してやり直している。
映画と本と動画の木村先生からたくさんのヒントを得たわたし。福にもそんな経験をさせてあげたい。
だけど、果たして福が行く学校はそんな現場なのだろうか。
安心よりとにかく学力を伸ばして欲しいと思う親だってきっといる。
市の教育委員会や相談窓口にも問い合わせた。多少遠くても安心して過ごせる良い環境があるならその方がいいと思ったからだ。
教育委員会は、木村先生を知っていたし、木村先生のような考えを持っている先生たちがいることも教えてくれた。
教育委員会としてもそういう理念を現場に浸透させたいけど、まだまだこの県では学校の理念として実践できている学校はないとのことだった。
だけど同じ想いの先生はいるから、ぜひ地元の学校でそういう声を上げて欲しい。それが少しずつ変わるきっかけになるから、という回答だった。
現実に直面した。環境をこれから作らなくちゃいけない。。いつできる??、、、ふーーーーぅという重めの気持ちになった。
そこで学校がないならフリースクールや民間の何かはないだろうかと調べて見学にまわった。でも、やっぱりなかった。
また、木村先生はこんな親たちに「せっかく学校という場所が今あるのだから、自分たちで子供が安心できる場所に変えていこう。そして、子供は子供同士の関係の中でこそ学びあえる」と何度も発信されている。
福が安心できる場を作るために学校という場がなくてはならないことと、子供同士という他の子供との触れ合いがなくてはならないことが、わたしは苦しかった。
だって、学校が全然良い環境じゃなかったら辛いだろうし、行かなくなったら子供同士という関わりもなくなってしまう。
考えれば考えるほど、福に「がんばって行きなさい」という選択しか与えられなくなりそうで、ずっとモヤモヤしていた。
毎日考え続けて、少しずつ気持ちを整理していった。
「福が通う学校を安心できる場所に変えていくしかない。。すぐに変わらなかったとしても、福の年代で作ってあげられなかったとしても、、これから先の子供たちにとって少しでも良い環境になればいいじゃないか。。」
そんな感じで自分の気持ちに折り合いをつけて、入学したら積極的に学校と関わっていこうと決めていた。
そんなこんなの日々が落ち着いた頃、仕事の読書の延長でホリエモンが教育について書いた本に出会った。
ホリエモンと木村先生、全然違う人種に見えるけど二人には教育の共通点があった。
「正解はこどもが持っている。だから大人が勝手な正解を押し付けるな」ホリエモン的に言うとそんな感じ。言い方は違えど、木村先生も同じことを何度も言っている。
だけど、木村先生の柔らかな言葉で言われた時より(柔らかと言ってもバリバリの関西弁だから強めの言葉だったりするのだけど)
ホリエモンの角度の違うパンチでもう一度なぐられた方がさらに効いた。
わたしも福に正解(だと思っている)を言い続けてきた大人だ。気をつけているつもりなのに、今でもこのミスをしてはやり直している。
そんな中でのホリエモン!
いや、堀江さん。
「学校に行きたくなら行かなきゃいい」
スーパーシンプル!!
気持ち良すぎて切られたことも感じない。笑
「好奇心こそ生きる力なのだから、やりたいことをやればいい」と。
大したことしてない親が、親になった途端偉そうになるのは何なんだ!?あーしなさい、こーしなさいって、あたかも自分が正解を知っているかのように振る舞い始める。ゲームやテレビに夢中になってる子供にそれをやめさせる。親の価値観や勝手な常識で子供の好奇心を奪うなーって力強く言うてくれてます。
本当にそうだと思った。
勝手に先回りして、正解(だと思っている)答えを押し付ける。まさにわたしがやろうとしていたことだー。
学校に行った方がいいよね=勉強できなくなると困るだろうし、お友達できないとつまらないだろうし、子供同士で色々学び合って欲しいし。
ゲームばっかりやらせない方がいいよね=目が悪くなるだろうし、運動不足になるだろうし、夢中になりすぎて他のこと何もやってくれなくなるだろうし。
わたし、どんだけ先回りしてるんだよ。笑
福でもないのに勝手に気持ち決めて。気付いたらアホらしくてたまらん。
福が夢中になって、自分で楽しいと思うことを選び取っているんだから何を邪魔する必要があるんだろう。
大いにやらせようじゃないか。
子供をなめたらいかんね。
〇〇したい。〇〇したくない。
ちゃんと自分で選んでたよ、福も。
いろんなモヤモヤが一気に吹き飛んだー。
入学式を終えた今日、
「がっこう、行きたくない」と話してくれた福。
不登校、OK。
ゲーム三昧、大いに結構。
夜更かしする程夢中なる、ええやん!
自分で考えて、自分で決めて行動する。
好きなことに思いっきり時間を使ってもらおう。
福の人生なのだから。
何か足りないと思ったら自分で取りに行くだろう。
以前、木村先生が「教えてとも言われていないのに、こうした方が良いよと口を出すのはクソの役にも立たない」と話されていたのを思い出した(これ、仕事でも一緒だよね)
本人が求めていない時にいくら差し出しても、受け取らないよね〜。
わたしたち親にできることは、やりたいことを邪魔しないことくらいなのかも。
ホリエモンのYoutubeで、教育系Youtuberの先生と議論になるシーンがあった。
教育系Youtuber
「ゲームしていいよって言ったら子供たちはずっと勉強しないでゲームしかしなくなっちゃいますよねー」
「いいじゃん、それで」
教育系Youtuber
「! いやいや、子供たちはまだ知らないことに興味を持てないだけだから、最初はイヤイヤでも勉強をスタートすると楽しさがわかると思うんですよね」
「なんで?」
教育系Youtuber
「え?だって、やってみた方がいいじゃないですか!?」
「やりたくないならやらなくていいじゃん」
わたしはホリエモンの言葉の方が、子供へのリスペクトと自由(愛とも思う)や希望を感じる。
驚くほどもう何もこわくない。
重要なのはどんな選択をするかじゃない。
自分で選んだものを正解にしていく力なんだ。
福、応援しているよ、心から!
ただいま6歳。